クラインガルテンとは?

日本の市民農園

笠間クラインガルテン

 

日本の市民農園が動き始めたのは、昭和40年代中頃で、1969年に神戸市と東京の板橋区で市民農園が開設されました。

 

 

そして、都市部を中心に市民農園が開設されだし、1974年には全国で163農園を数えるようになりました。

 

 

1975年になると、動きを見ていた農林水産省が、構造改善局長名で都道府県の知事宛に通達を出し、市民農園を『いわゆるレクリェーション農業』として認め、これにより市民農園の開設の動きが加速し、1987年には全国で2718農園に増加しました。

 

 

1988年には、超党派の国会議員からなる市民農園促進議員連盟が発足し、法律制定への足場が固まるとともに、市民農園が政策に取り上げられるようになり、1989年に「特定農地貸付に関する農地法等の特例に関する法律」が制定され、条件付きながら農地法上から貸付け行為による市民農園の開設が可能になりました。

 

 

翌1990年には、「市民農園整備促進法」が制定され、附帯施設の整備も可能となり、市民農園を大手を振って普及できる段階に達しました。